【3月15日の言葉】さまざまの 事思い出す さくらかな  芭蕉

今月15日の言葉は「桜」について取り上げました。

今年はいつもより桜の開花が早いようですし、東京の上野公園の花見も解禁になりました。

当社の桜はまだ咲いていませんが、花手水の桜はお楽しみいただけます。

元々桜といえば、「山桜」の事でした。

さくらの「さ」は「早乙女(さおとめ)」や「早苗(さなえ)」の「さ」で稲の神様を表し、「くら」は「座(くら)」で神様の宿る場所を意味しています。

すなわち「さくら」は稲の神様が宿る場所という事になります。

 

元々日本は農業中心の社会で、稲作が生活の中心でした。そして、お米がたくさんとれることが、人々の共通の願いでもありました。

稲の収穫が終わって冬になると、稲の神様は山に還(かえ)られます。

 

春になり山々に自生している山桜の花が白く咲き始めると

「さあ稲の神様が桜の木に降りて来られたぞ」

という事で桜の木のもとに皆が集まって「桜に宿る神様」にお酒や食べ物をお供えし「今年も豊作でありますように」と願いながら、共に飲み食いをしました。

これがお花見の始めと言われております。

 

そして山桜の花を稲の花に見立てて、その年の豊作を占ったようです。

すなはち、稲の神様をお迎えする神事がお花見のルーツという事になります。

そう考えるとお花見ひとつにも、先祖代々、日本人としての遺伝子が受け継がれているようです。

 

また桜の香りに含まれる「クマリン」という物質は、抗菌、リラックス、鎮静作用がある事が科学的にも証明されており、これも「お花見」の効用と言えそうです。

当社の天満宮にも桜を詠んだ「松尾芭蕉」の句碑があります。是非見つけて下さい。

「木(こ)のもとに 汁も膾(なます)も 桜かな」

(満開の桜の木の下にいると、汁も膾料理も桜の花びらで埋まってしまいそうだ)

春の日差しの様なうららかな心でお参りしましょう。

今日も良い一日を!