「中今(なかいま)」という生き方

8年前の今日、震災により多くの尊い命が失われました。

東日本大震災で亡くなられた方々に対し哀悼の意を捧げるとともに、

被災地の早期復興を心よりお祈り申し上げます。

「生まれ生まれ 生まれ生まれて 生(しょう)の始めに暗く

 死に死に 死に死んで 死の終わりにくら冥し」 

弘法大師 空海の言葉です。

「人は何度となく生き死にを繰り返すけれども、その根源的な摂理はいまだに不可解である」という意味です。

「我々は何故生まれ、何故死ぬのか?」

あの空海でさえ答えが出せなかった問題に悩むより、せっかく授かった人生をどう生きるか、前向きに考えたいものです。

神道には「中今(なかいま)」という言葉があります。

例えば一分前の過去の出来事、過ぎ去った事は変えようがありません。

同じように一分後の事、これから先の事は予測できません。

確実に出来る事は今やれる事を一つ一つ行なう事です。

今直面する一瞬一瞬に全力を尽くす事、神道ではこれを「中今」と言います。

今の自分はこれまでの人生の結果であり、未来の自分は今将来に向かって何をしているかで決まります。

自分の夢に向かって具体的に計画、努力してる人にはきっと幸せな将来が待っているでしょうし

夢ばかり語って何もしない人の前途は自ずから明らかです。

全ては今日一日の自分の過ごし方で決まります。忙しい人ほど一日24時間を上手に使って充実した日々を過ごしています。

アメリカの作家、デール・カーネギーは

「人生とは今日一日のことである」

と述べております。

一瞬一瞬の積み重ねが合わさって一日となります。

「忙中閑あり」「苦中楽あり」

忙しい中にもゆとりの時間を見つけ、つらい仕事の中にも楽しみを見出していく。

こういう心構えが充実した一日一日につながり、ひいては充実した人生へと導いてくれるでしょう。

そして一日の始まりにはまず神棚に手を合わせ今日も一日お守り下さいと神様にお祈りし、

一日の終わりには今日も一日ありがとうございましたと感謝の祈りを捧げましょう。

神棚に額ずき、或いは神社にお参りして、神恩感謝の真心を捧げる事によって必ずや神の御加護を受けて幸せが訪れる事でしょう。

 一日一度の神棚参り 月に一度の神社参り

私達が真摯な祈りを捧げれば、神様は常に私達を見守ってくださいます。

いつも神様にお守り頂いているという安心が心の安定と平安につながります。

神様の御加護のもと、明日何が起こっても悔いのないように

今日一日を大切に、仕事、趣味、余暇と目の前の事に全力で

なるべく楽しみながら取り組んで行く、これが「中今」という生き方です。

一所懸命だと知恵がでる。

中途半端だと愚痴がでる。

いい加減だと言い訳がでる。