5月1日に奥土居神社(松山市東垣生町697番地)の春祭りに伊予里神楽を奉納しました。
奥土居神社の拝殿には、由緒が記された社伝が掲げられていましたので、ご紹介します。
今から約1300年前、神亀年間に伊予守・河野玉純が神殿を造営し、
造化の神である
高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
淤母陀琉神(おもだるのかみ)、
阿夜詞志古泥神(あやかしこねのかみ)
をお祀りしたと伝えられています。
一説によれば、伊予国の豪族・河野氏の祖とされる孝霊天皇の第三皇子・彦狭島命(ひこさしまのみこと)が興居島で御子・小千命(おちのみこと)を授かった際、胞衣(あるいは臍の緒)を箱に納め海に流したところ、その箱が今出の海岸に漂着。
それを拾った漁師が家に持ち帰り、机の上に安置した夜、
「この箱を清らかな地に埋め、造化の神をあわせ祀れば、私の霊は人々を見守り、子を授け、安産をもたらすだろう」
との神託があったといいます。
人々はこの地に「臍緒神」としてお祀りし、多くの人々が霊験にあずかったと伝えられます。
相殿には小千命も祀られていたそうです。
その後、河野氏が代々崇敬し、垣生城主・垣生肥前守が、社殿が城の南に位置することから「奥土居神社」と名付けたとのこと。
また、子宝に恵まれない河野家の娘がこの神に祈願したところ、願いが叶って懐妊。
臨月のある夜、神殿内で出産のときを迎え、玉垣に手をかけ立ち上がった瞬間、玉のような男児を無事出産したといいます。
その喜びから、それまでの村名「波生」を「垣生」(読みは「はぶ」)に書き換え、社殿を修造し大社としたとのこと。
現在も「大門の松」という古木がその名残として残っています。
「なぜ『垣生』と書いて『はぶ』と読むのか」という謎の答えがここに記載されていました。
【伊予里神楽 奉納予定】
4月上旬の日曜 朝日八幡神社(南江戸5丁目1569)
4月19日 生石八幡神社(高岡町917)
5月1日 奥土居神社(東垣生町697)
5月2日 日吉神社(南斎院町1224)
5月15日 素鵞社(西長戸町角田788)
5月16日 久枝神社(古三津町1257)
5月下旬の日曜 金刀比羅神社(高浜町4丁目乙74)
7月17日 嚴島神社(神田町1−7)
7月28日 住吉神社(西垣生町1369)
10月下旬の日曜 橘若宮神社(立花1丁目10−27)
※日付が固定されている神社は、曜日に関係なく毎年同じ日に行われます。