今回紹介するのは、とある大工さんの話。
とても素晴らしいことをされているので紹介いたします。
大洲市に住む大工の池田さんは
東日本大震災後
お社を造り被災地に奉納し続けているそうです。
この度、四社目が完成し、大洲市阿蔵に鎮座する八幡神社の神主さんと
奉納先の宮城県南三陸町鎮座の戸倉神社さんに向かうことに
八幡神社にて道中祈願
お社は、今では入手困難な木曽檜で作られています。
すでに五社目も造りはじめており、なおも支え続けるその姿勢には、本当に頭が下がります。
震災で流された地域の氏神さまの新しいお社として祀られることになり
さっそく戸倉神社の斎藤宮司様によって遷座祭を斎行。
このあたりは、各集落ごとにお社がある信仰の厚い地域だそうですが
「このへんにこんな立派なお社ないよ」と、地元の方に大変喜んでいただいたそう。
遷座祭後、直会にて
震災時の生々しいお話を伺い
愛媛の水害とはまた次元の異なる水の恐ろしさと共に
印象に残ったのは
「結(ゆい)っこがあったから乗り越えられた」という言葉。
こちらでは普段から互いに助け合う「結い」の精神が残っており、
親切を受けたら「後で結っこすっから」と言って別の機会に返すのが当たり前だったそう。
その結び付きのおかげで、震災時には自然に集落での共同生活に移行し乗り切れたと。
大工仕事ができる人は修理を、食事を作れる人は食事を担当し、モノの残った人はモノを持ち込む。
技術もモノもなかったある人は「自分はいつも同じ時間に目を覚ますことはできるから」と毎朝一番に起き、
寒空の中瓦礫の中から木をひろい火を起こすことを2ヶ月続けたそうです。
我々の水害の時もそうですが、想定外の事が起きたときに大切なのが、的確な自主判断と周囲との支え合い。
良くも悪くも周囲とのコミュニケーションを避けがちな昨今
相手に何ができるかではなく
相手が自分に何をしてくれるかばかり注目されている気さえします。
この話を聞いて相手を思う大切さを改めて考えさせられました。