月次祭(皐月) ・ 奥土居神社 春祭り

毎月1日9時半~

恒例の月次祭執り行いました。

早くも1年の3分の1が経過しました。

時の経つのは早いものです。

境内を見渡すと、葉が入れ替わったクスノキが青々と輝き、美しく風に揺られています。

さて、午後からは奥土居神社の春祭りに伊予里神楽を奉納致しました。

この神社の拝殿に社伝が記載されてましたので、アップします。

今から約1300年前、神亀年間に、伊予守であった河野玉純が神殿を造り

造化の神である

高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、淤母陀琉神(おもだるのかみ)、 阿夜詞志古泥神(あやかしこねのかみ)

をお祭りしたという。

一説によると、伊予の国の豪族河野氏の祖先とされる孝霊天皇第3皇子彦狭島命(ひこさしまのみこと)が興居島で御子

小千命(おちのみこと)が誕生の時、

その胞衣(臍の緒という説もある)を箱に納め海上に流すと

その箱が今出の海岸にただよい着いた。

これを拾った漁師が、家にもってかえり机の上に安置したその夜

「この箱を清らかな土地に埋め、造化の神をあわせまつれば、わが霊は永く庶民を見守り、子を授け、安産させるだろう」 

と神のお告げがありました。

そこでこの土地の人々が、臍緒神としてお祭りしたところ、霊験あらたかでお蔭をうける人が多かったと伝えられている。

相殿には、小千命をお祭りしていたといいます。

河野氏は累代崇敬し、後に垣生城主垣生肥前守(ひぜんのかみ)は、

社殿が城の南に当たるので奥土居神社と称えたという。

子がない人がこの神に祈れば、必ずよい子を授かったといわれる。

河野家一族の娘に子がなく、この神に祈ったところその祈りが通じご懐妊。

そして臨月となったある夜、娘はこの神殿の中でその出産の時をまっていました。

すると、玉垣に手をかけ立ち上がろうした瞬間、やすやすと玉のような男の子を出産したことから、

それまでの村名 

「波生」

「垣生」

と書きかえたといいます。

立願成就を喜び、社殿を修造して大社となり、

その時の門の跡として今に大門の松というしるしの古木があるという。

前々から気になっていた

なぜ「垣生」とかいて「はぶ」と読むのか・・

謎が解けました。

奥土居神社

松山市東垣生町697番地