10月22日、松山市古三津の久枝神社境内に鎮座する岡田十五郎神社にて、例祭を斎行いたしました。
岡田十五郎神社は、江戸時代に水不足で苦しむ村民を救い、地域の農業の発展に尽力した岡田十五郎翁の功績を後世に伝えるために建立された神社です。
今回は、岡田十五郎翁の功績と、神社に伝わる「岡田十五郎神社縁起」、そして翁にまつわる地域の歴史をご紹介します。

岡田十五郎翁と久万ノ台新池
岡田十五郎翁は、寛政2年(1790年)に古三津村に生まれ、安政元年(1854年)に63歳で亡くなりました。
文政年間(1818~1831年)、古三津の村民は、農業に欠かせない水の不足に苦しんでいました。田植えの時期に十分な水を確保できなければ、農作物の生育や村民の暮らしに大きな影響が及びます。
そこで岡田十五郎翁は、久万ノ台新池の築造が必要であることを藩に訴え、人々の協力を得ながら工事に尽力しました。築造には約3年を要し、現在の松山西中等教育学校付近に大きな池の堤が築かれたと伝えられています。
しかし、池が完成しても、今度は池を満たす水源がありませんでした。村民の不満が広がるなか、翁は水を確保するために奔走しました。
久万ノ台新池にまつわる案内板によると、翁は久枝村の三島神社で7日間の断食祈願を行い、夢のお告げを得たと伝えられています。そのお告げに従って水門を掘る工事に着手し、私財を投じて困難を乗り越え、ついに水を池へ導くことに成功したといいます。
こうして久万ノ台新池は水をたたえ、地域の農業は発展し、村民の暮らしも豊かになったと伝えられています。
久万ノ台新池は、現在の久万の台ゴルフセンターや愛媛県立松山西中等教育学校の周辺にあったとされています。現在もゴルフセンターには池があり、この地域の水利と農業の歴史を考えるうえで、ゆかりの深い場所となっています。
儀光寺に残る岡田十五郎翁の墓
岡田十五郎翁ゆかりの場所は、久万ノ台新池の周辺だけではありません。翁の墓は、儀光寺にあります。
地域のために尽力した翁の足跡は、池や堤防、顕彰碑、神社、そして墓所など、さまざまな場所に残されています。これらをたどることで、翁が地域の人々からどれほど敬われ、その功績が大切に受け継がれてきたかを知ることができます。

岡田十五郎神社が建立されるまで
岡田十五郎翁の功績は、早くから村民に深く敬われていました。
明治31年(1898年)には、翁の功績をたたえる頌徳碑が建てられました。さらに大正10年(1921年)には、築堤100周年を記念して盛大な祭典が行われ、翁の伝記も編纂されました。
そして平成4年(1992年)、築堤170周年を機に、三津土地改良区の役員一同によって岡田十五郎神社が建立されました。
現在、神社は松山市古三津の久枝神社境内に鎮座しています。石碑「岡田十五郎神社縁起」には、翁の功績を後世に語り継ぐために社を建立し、謹んでお祀りすることが記されています。
岡田十五郎神社縁起

石碑の原文
岡田十五郎翁は寛政2年古三津村に生れ、安政元年に没した。享年63であった。
翁は文政年間に久万ノ台新池の築造のため挺身して農業の振興を図り、よって村民を困窮の底から救出し繁栄に導いた郷土の先駆者である。
その広徳は夙に村民のひとしく敬仰するところとなり、明治31年には頌徳碑を建設して翁の大恩に感謝の誠を表し、次いで大正10年には築堤百周年を記念して盛大な祭典を挙行、併せて翁の伝記を編集してその功績を今日に伝えた。
時代の進運とともに農業は今や昔日の面影を失ったが、私財を投じて工事を完成し一村の窮状を救った翁の崇高な公共心は不滅の光を万世に放つであろう。
築堤170周年に当たり翁の功業に思いをはせ、翁が身をもって示された教えを後世に語り継ぐため三津土地改良区役員一同相諮ってここに社を建立し、謹んで奉祀するものである。
平成4年10月吉日
近藤昇吉 書
現代語訳
岡田十五郎翁は、寛政2年(1790年)に古三津村に生まれ、安政元年(1854年)に亡くなりました。享年63歳でした。
翁は文政年間(1818~1831年)、久万ノ台新池の築造に力を尽くし、農業の発展を図りました。そして、生活に困窮していた村民を救い、地域の繁栄に導いた、郷土の先駆者です。
翁の功績は、早くから村民の誰もが尊敬し、敬い慕うところとなりました。明治31年(1898年)には、翁の功績をたたえる頌徳碑が建てられ、深い感謝の気持ちが表されました。
続いて大正10年(1921年)には、堤防の完成から100周年を記念して盛大な祭典が行われ、翁の伝記も編纂されました。こうして、その功績が今日まで伝えられてきました。
時代の変化とともに、農業は今や昔とは大きく姿を変えました。しかし、私財を投じて工事を完成させ、一つの村の苦境を救った翁の崇高な公共心は、いつまでも輝き続けることでしょう。
堤防の完成から170周年を迎えるにあたり、翁の功績に思いをはせ、その生き方を通じて示された教えを後世に語り継ぐため、三津土地改良区の役員一同が相談し、ここに社を建立して、謹んで翁をお祀りするものです。
平成4年(1992年)10月吉日
久万ノ台新池にまつわる案内板の内容
儀光寺の案内板には、岡田十五郎翁が久万ノ台新池を築造した経緯と、水源を確保するまでの苦労が記されています。内容を分かりやすくまとめると、次のとおりです。

案内板の内容(現代語訳)
岡田十五郎翁は、寛政2年(1790年)に古三津村に生まれ、安政元年(1854年)に63歳で亡くなりました。
文政年間、養水不足に苦しむ村を救うため、翁は新しい池を築く必要性を強く訴えました。藩を動かし、人々の協力を得て築造に取り組み、約3年をかけて現在の松山西中等教育学校付近に大きな池の堤を完成させました。
しかし、池ができても水源がなく、村民の不満が広がりました。そこで翁は、久枝村の三島神社で7日間の断食祈願を行いました。
すると夢の中で、「明朝未明、山越の亀の甲泉から鷹が飛んできて止まった場所に水門を開けよ」とのお告げを受けたといいます。
翁はこのお告げに従って水門を掘る工事を始め、私財を投じて苦労を重ねた末、ついに完成させました。水は勢いよく流れ込み、池はたちまち満々と水をたたえたと伝えられています。
その後、農業は発展し、村民の暮らしも豊かになりました。村の苦境を救った翁の功績は今も語り継がれ、その崇高な公共心は不滅の光を放っています。
案内板には、毎年8月7日が祭日であることも記されています。
平成4年(1992年)盆月
三津土地改良区 記
※上記は、案内板の文章を読みやすく整理したものです。夢のお告げに関する記述は、案内板に伝承として記されている内容を紹介しています。
先人の思いを、これからも

岡田十五郎翁が残したものは、池や堤防という施設だけではありません。私財を投じて地域の人々を救おうとした、その公共心と行動もまた、後世に伝えるべき大切な財産です。
現在の街並みからは、かつてこの地域の農業を支えた池の姿を想像することが難しいかもしれません。しかし、今も残る池や石碑、神社、墓所などを通じて、地域の歴史をたどることができます。
10月22日の例祭を通じて、地域のために尽くした岡田十五郎翁の功績に思いをはせ、その志をこれからも大切に伝えてまいります。
久枝神社にお参りの際には、境内に鎮座する岡田十五郎神社にもぜひお参りください。
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