三津の渡し船

 

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この渡し船の起源は、応仁元年(1467年)、湊山(現港山)城主の河野通春が、「城兵の糧食は地元の民から買い上げよ」とし、米、野菜、魚などを調達するために、三津と湊山を船で結んだのが始まりです。
江戸時代になって、三津は松山の外港となり、諸国の船が頻繁に出入りするようになります。
これに伴い朝市も本格的なものになり、渡し船も重要度を増し、番所の管理下におかれて運行するようになります。
大正の頃までは、「棹(さお)」で操られ、その後「艪(ろ)」で漕がれるようになります。
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写真は昭和40年のものです。昭和45年からエンジン付きの船に変わり、現在に至ります。
毎日、朝7時から夜7時まで、両岸80mを何度となく行き来し、乗りたい人を見つけると、向こう岸にいても迎えにきてくれます。年中無休です。
私たちも、小さい頃は梅津寺に行く際等に利用していました。
船長(船頭さん)は今でも頑張っておられて、何十年もこの渡しを見守っています。